現在の本堂等の敷地は、かつて小浜藩稀の御屋敷であったと伝えられています。そのお屋敷への出入り、通用門の一角に、小さな社「茶吉尼天尊」は佇んでいました。
本堂等がこの地に移って以降も、守りとしてこの神社がいかに人々の信仰を集め、今日まで大切に護られて来たかを物語っています。
2025年4月12日、茨城県東海村の「村松虚空蔵尊」を訪れ、住職夫人にお話を伺ったところ、以下のことが判明しました。
大正11年(1922年)5月、小田原の川崎太七氏が「茶吉尼天尊」の建設を出願し、同年11月に落成したとのことです。
当時、東京には「東京講社」という信仰団体が存在しており、以下の3つのいずれかの団体が東海村の「村松虚空蔵尊」に「茶吉尼天尊」を奉納したとされています。
- 東京大星講
- 招福講(墨田区中心)
- 東牛会(丑年生まれの集まり)
その奉納された「茶吉尼天尊」が、三崎に分霊されたようです。
三崎との繋がり
三崎には「大満講」という信仰団体があり、信仰熱心な方々が団体でバスに乗って「村松虚空蔵尊の茶吉尼天尊」へ参拝していたと伝えられています。
「村松虚空蔵尊」に寄進された釣り鐘も、大満講によるものであると記録が残っています。